イランの遊牧民&部族|トルクメン・バルーチ・カシュガイ・アフシャル・バクティアリ・クルド

イランの遊牧民&部族

イランの遊牧民&部族

イランには古くから、羊や山羊などの家畜とともに季節ごとに移動する遊牧民や半遊牧民が暮らしてきました。夏には涼しい高地へ、冬には温暖な低地へと移動し、その土地の自然環境に合わせながら生活を営んできた人々です。

しかし、現在もすべての部族が遊牧生活を続けているわけではありません。20世紀以降の社会や経済の変化、都市化、牧草地を取り巻く環境の変化などによって定住化が進み、現在では町や村で生活する人々も多くなっています。一方で、カシュガイ族やバクティアリ族などには、現在も季節移動を続ける人々がいます。

こうした部族の暮らしの中で発達したものの一つが、絨毯やキリムをはじめとする織物文化です。床に敷く絨毯だけでなく、荷物を収納する袋や家畜の背に掛ける袋、テントの装飾など、織物は生活に欠かすことのできない道具でもありました。

都市の工房で図案に沿って制作される絨毯とは異なり、伝統的な部族の絨毯では、織り手が受け継いだ文様や記憶をもとに自由に構成されたものも多く見られます。このページでは、イランの絨毯文化と深い関わりを持つ代表的な部族をご紹介します。

01. トルクメン族

トルクメン族は中央アジアに広く分布するトルコ系民族で、イランでは主に北東部、カスピ海東岸からトルクメニスタンとの国境に近いゴレスターン州や北ホラーサーン州周辺に暮らしています。トルコ語系のトルクメン語を話し、イランのトルクメン族にはスンニー派イスラムを信奉する人々が多くいます。

かつては家畜を伴って草原を移動する遊牧・半遊牧生活を営む集団が多く存在しましたが、現在では定住化が進み、町や村で生活する人々が大半を占めています。それでも、馬や家畜と深く結びついた伝統文化や織物の技術には、かつての遊牧生活の面影が残されています。

トルクメンのカーペットを象徴するのが、「ギュル(Gul / Göl)」と呼ばれる幾何学文様です。八角形や多角形を基調とするギュルをフィールドいっぱいに反復させる構成が多く、赤を中心に、臙脂色、濃紺、黒、白などを組み合わせた独特の色彩が見られます。テケ、ヨムート、サリク、エルサリなどの集団が知られ、それぞれに特徴的なギュルや織りがあります。ただし、ギュルは歴史の中で異なる集団の間でも共有されてきたため、現在では文様だけでなく、織りの構造や素材、色彩なども含めて絨毯の系統が考えられています。

トルクメン族の手織り絨毯
トルクメン族の手織り絨毯

02. バルーチ族

バルーチ族はイラン南東部からパキスタン、アフガニスタンにまたがる広い地域に暮らす民族です。イラン語派に属するバルーチ語を話し、イランではシースターン・バルーチェスターン州を中心に、ホラーサーン地方などにもバルーチ系の人々が暮らしています。

歴史的には遊牧や半遊牧、牧畜を行う集団が存在した一方、農耕や交易などを営む定住民も多く、バルーチ族全体を遊牧民と考えることはできません。現在では町や村に定住して生活する人々が多くなっています。

バルーチ族のカーペットは、臙脂色や深い赤、濃紺、黒褐色などを多用した暗く落ち着いた配色のものが多いことで知られています。鮮やかな色彩を前面に出す絨毯とは異なり、深みのある色調の中に細かな文様が浮かび上がります。菱形や六角形、八角形、鉤状のモチーフなどの幾何学文様が多く、植物や花を表した意匠も直線的に抽象化されることがあります。産地や織り手の集団によって文様や構造には多様な違いがあり、「バルーチ絨毯」という名称の中にもさまざまな系統が含まれています。

バルーチ族の手織り絨毯
バルーチ族の手織り絨毯

03. カシュガイ族

カシュガイ族は、イラン南部のファルス州を中心とする大規模な部族連合です。主にトルコ語系のカシュガイ語を話し、複数の部族や集団によって構成されています。

伝統的なカシュガイ族は、羊や山羊などの家畜を伴い、季節によって夏営地と冬営地を往復してきました。春から夏には涼しいザグロス山脈の高地へ向かい、秋から冬にはファルス州南部などの温暖な低地へ移動します。その移動は年2回行われ、集団やルートによっては数百kmにも及ぶ大規模な季節移動となります。

20世紀には定住化が大きく進み、シラーズをはじめとする都市や村へ移り住んだ人々も多くなりました。そのため、現在のカシュガイ族のすべてが遊牧生活を行っているわけではありません。一方で、現在も家畜とともに夏営地と冬営地を往復し、伝統的な移牧を続ける人々もいます。

カシュガイ族は非常に豊かな織物文化を持ち、パイル絨毯のほか、キリム、ジャジム、サドルバッグなど、遊牧生活に必要とされたさまざまな織物を作ってきました。絨毯には菱形を基調としたメダリオン、幾何学化された花や植物、鳥や動物など、さまざまなモチーフが表されます。都市部の工房で制作される絨毯とは異なる自由な構成や、織り手による文様の変化もカシュガイ絨毯の大きな魅力です。また、カシュガイ系の一部の集団はギャッベの織り手としても知られています。

カシュガイ族の手織り絨毯
カシュガイ族の手織り絨毯

04. アフシャル族

アフシャル族はトルコ系の部族で、歴史の中でイラン各地に広く移動し、複数の地域に分かれて暮らしてきました。絨毯の世界では、特にイラン南東部のケルマン周辺で織られたアフシャル系の絨毯がよく知られています。歴史的には遊牧や半遊牧によって家畜を飼育する集団が存在しましたが、長い歴史の中で定住した集団も多く、現在のアフシャル族を一律に遊牧民とすることはできません。現在では農村や町に定住して暮らす人々が多い一方、その織物には遊牧生活から受け継がれた伝統を見ることができます。

アフシャルの織物には、パイル絨毯のほか、袋物や生活用の織物もあります。移動生活の中では、織物は床に敷く装飾品だけではなく、荷物を収納したり運んだりする実用品として重要な役割を担っていました。

アフシャル絨毯には菱形のメダリオン、幾何学化された植物文様、ボテなどさまざまな意匠が見られます。赤や青を中心とした色彩と、細かな幾何学文様を組み合わせたものも多く、制作地域や集団によって織りやデザインにも違いがあります。

アフシャル族の手織り絨毯
アフシャル族の手織り絨毯

05. バクティアリ族

バクティアリ族は、イラン南西部のザグロス山脈を中心に暮らしてきた大規模な部族集団です。主にロル語系の方言を話し、伝統的には羊や山羊などの家畜を飼育しながら、季節に合わせて移動する生活を営んできました。冬にはフーゼスターン地方の温暖な低地で過ごし、春から夏にかけてザグロス山脈を越えてチャハール・マハール周辺の高地へと移動します。山岳地帯や川を越える大規模な季節移動は、バクティアリ族を象徴する伝統文化の一つです。

一方、バクティアリ族の定住化も古くから進んでいます。現在ではチャハール・マハール・バクティアリ州をはじめ、イスファハン周辺やフーゼスターン州などの町や村に定住している人々が多く、遊牧生活を続ける人々は部族全体の一部となっています。

絨毯市場で「バクティアリ絨毯」と呼ばれるものについても注意が必要です。すべてが移動生活を送る遊牧民によって織られたものではなく、バクティアリ族と関係の深いチャハール・マハール地方などの定住した村落で制作された絨毯も数多く含まれます。

バクティアリ絨毯を代表するデザインの一つが、フィールドを四角形や菱形に区切り、それぞれの区画に花、木、植物などを配置する庭園を思わせる文様です。幾何学的な構成の中に植物文様を組み合わせた力強いデザインが多く見られます。

バクティアリ族の手織り絨毯
バクティアリ族に関係する地域で織られた手織り絨毯
映画『グラス』に記録されたバクティアリ族

1925年に公開された映画『グラス(原題:Grass: A Nation's Battle for Life)』には、バクティアリ族が家畜とともに季節移動を行う様子が記録されています。

メリアン・C・クーパー、アーネスト・B・シュードサック、マーガレット・ハリソンらによって制作された作品で、大勢の人々と家畜が川を渡り、険しいザグロス山脈を越えて牧草地を目指す姿が映されています。

20世紀初頭のバクティアリ族の大規模な移動生活を映像として残した貴重な作品であり、当時の遊牧生活がどのようなものであったのかを現在に伝えています。

06. クルド族

クルド族はイラン西部をはじめ、イラク、トルコ、シリアなど広い地域に暮らすイラン系民族です。イラン国内ではクルディスタン州、ケルマーンシャー州、西アゼルバイジャン州、イーラーム州などの西部に加え、北東部のホラーサーン地方にもクルド系の人々が暮らしています。

クルド族全体が遊牧民であったわけではなく、農業などを営む定住民も古くから存在しました。一方で、家畜とともに山岳地帯を季節移動する遊牧・半遊牧の集団も多く存在していました。

イランでは19世紀末から20世紀にかけて多くのクルド系部族が定住化し、現在では町や村で暮らす人々が大多数を占めています。しかし、部族としての伝統や地域文化、織物文化は定住化した後もさまざまな形で受け継がれてきました。

クルド系の絨毯は広い地域で織られているため、ひとつの様式だけで定義することはできません。幾何学的なメダリオン、菱形、鉤状のモチーフ、植物を抽象化した文様など、多様な意匠が見られます。また、イラン西部のクルド絨毯とホラーサーン地方のクルド系集団による絨毯では、織りの構造や文様、色彩にも違いがあります。この地域的な多様性も、クルドの織物文化を特徴づける要素の一つです。

クルド族の手織り絨毯
クルド族の手織り絨毯

「トライバルラグ」や「部族絨毯」と呼ばれる絨毯の背景には、それぞれ異なる民族、地域、生活様式があります。

かつて遊牧生活を営んでいた部族であっても、現在では定住化している人々が多く、「トルクメン族だから遊牧民」「バクティアリ族だから遊牧民」というように、民族名と現在の生活様式をそのまま結びつけることはできません。

また、部族名を冠した絨毯であっても、実際には定住した村落で制作されている場合があります。絨毯に残る文様や織りの構造、素材、色彩には、遊牧時代から受け継がれてきた文化と、定住後に発展した地域の織物文化の双方を見ることができます。

その背景を知ることで、一枚のトライバルラグに表された文様を単なる装飾としてではなく、人々の暮らしや歴史から生まれた文化として楽しむことができます。