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日本の絨毯文化
日本の絨毯文化
日本の絨毯文化
日本では、高温多湿な気候と畳文化の中で、絨毯は長く日用品として定着してきませんでした。古代の毛氈、南蛮貿易による舶来の絨毯、祇園祭の懸装品、そして国産の段通へ。日本独自の受容と変化の歴史をご紹介します。
目 次
01.日本に絨毯文化が根づかなかった理由
02.古代日本に伝わった毛織敷物
03.南蛮貿易がもたらしたペルシャ絨毯―秀吉の陣羽織
04.日本で生まれた絨毯
05.現代日本の暮らしと絨毯の役割
01.日本に絨毯文化が根づかなかった理由
日本で絨毯が広く受け入れられなかった背景には、まず気候風土と生活様式の違いがあります。高温多湿な日本では、麻や藺草、藁などの植物繊維を用いた畳やござの方が生活に適しており、羊毛を主素材とする絨毯は必要性が高くありませんでした。 また、複雑な文様や強烈な色彩も、日本人の美意識には馴染みにくい要素であったと考えられます。さらに、羊毛の産地から遠く、絹製品は高価であったことも、絨毯が日用品として普及しなかった要因でした。 ただし、絨毯はまったく価値がなかったわけではなく、実用品ではなく異国情緒を感じさせる舶来品として、特別なものとして受け止められていたようです。
02.古代日本に伝わった毛織敷物
古代日本の生活に最も適していたのは、植物繊維を素材とする衣服や敷物でした。一方、獣毛性の絨毯は、内陸アジアの厳しい気候風土のもとで発達したものであり、日本の生活環境とは大きく異なっていました。そのため、仮に羊毛製品が伝えられても、日常生活に入り込む余地はほとんどなかったと考えられます。 文献上では、『魏志倭人伝』に記された卑弥呼への献上品の中に、毛氈と考えられる敷物があったことが指摘されています。また、奈良時代の寺院の資財帳には、「織氈」「緋氈」「花氈」といった名称が見られ、毛や毛織の敷物の存在がうかがえます。
参考:
正倉院 公式サイト(花氈)
ただし、現存する古代の敷物の多くは、織物ではなく不織布のフェルトである毛氈です。これらは皇室や高官、寺院関係者によって、敷物や座具として用いられていたと考えられています。
03.南蛮貿易がもたらしたペルシャ絨毯―秀吉の陣羽織
16世紀後半から17世紀にかけての南蛮貿易は、日本と西方世界を結び、さまざまな毛織物や絨毯を日本にもたらしました。ポルトガルやスペイン、のちにはオランダやイギリスを通じて、ラシャやビロード、綴織といった舶来品が流入します。 その象徴的な例が、豊臣秀吉所用と伝えられる陣羽織です。ペルシアの絹製綴織が用いられたこの陣羽織は、戦国武将たちの異国趣味と、舶来の高級毛織物が結びついた非常に珍しい作例です。
参考:
京都国立博物館 所蔵品解説ページ
同じ流れの中で、祇園祭の山鉾懸装品としてペルシアやインドのパイル絨毯が使われるようになりました。これらの絨毯は床に敷かれることなく装飾として用いられ、年に一度しか使用されなかったため、今日まで良好な状態で伝えられています。
04.日本で生まれた絨毯
日本における本格的な絨毯の生産は、元禄年間を中心とする17世紀末に始まったと考えられています。奢侈品の輸入が制限される中で、敷物の需要に応えるため、国内生産が模索されました。その際に大きな影響を与えたのが、中国の段通です。 日本では絨毯を「緞通」と呼んできましたが、その語源が中国語にあることからも、中国絨毯の影響が色濃く反映されていることが分かります。肥前佐賀の鍋島をはじめ、堺や赤穂などでも生産が行われ、一時は海外に輸出されるほどの隆盛を見せました。 こうして生まれた国産段通には、日本ならではの特色があります。まず素材についてみてみると、木綿が経糸・緯糸・パイルのすべてに用いられており、これは高温多湿な日本の気候に適応するための変化でした。また、寸法も日本の家屋に合わせて工夫され、畳一畳を基準とした大きさが標準となっています。さらに、色調や文様も、日本人の美意識に沿った、繊細で柔らかな表現へと変化していきました。 しかし、こうした国産の手織り絨毯は、輸入された外国製絨毯、とりわけ中国の段通との競合に加え、近代以降は機械織絨毯の普及にも押され、次第に衰退していくこととなりました。
鍋島段通 1980年代
05.現代日本の暮らしと絨毯の役割
戦後、日本の暮らしはアメリカ文化の影響を受け、大きく変化しました。畳中心の住まいから洋室へと移り変わり、椅子やソファを使う生活が一般化する中で、カーペットや絨毯は床を守り、空間を整えるための必需品となっていきました。 また、空調設備の普及により、湿気の多い梅雨時でも快適な室内環境が保たれるようになり、絨毯を日常的に使う条件が整いました。さらに、高度経済成長によって生活にゆとりが生まれると、生活用具にも質の高さや長く使える価値を重視する傾向が強まっていきます。このような意識の変化は、草木や鉱物を用いた天然染料による染色、絹やウールを使用し手織りで生産されるペルシャ絨毯への関心を高め、本物を選びたいという志向を育てました。 1970年代に入ると、ペルシャ絨毯は日本の百貨店を通じて本格的に紹介され、広く普及するようになりました。絨毯は単なる床材ではなく、「実用品」と「鑑賞対象」の両面をもつ存在として位置づけられるようになります。また、近年では、インテリアの装飾品としてトライバルラグへの関心が高まっています。現代の日本において絨毯は、実用性と美しさを兼ね備えた生活道具として、あらためて価値を見直されているのです。
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